今、アジアで最も注目を集めている人物は、台湾の事業家郭台銘(以下、テリー・ゴウといいます。)かもしれません。

なぜなら彼は今月19日に、2020年1月に行われる台湾総統選への出馬を正式表明したからです。

「テリーゴウ?誰それ?聞いたことがないし…」という日本人もいるかもしれませんが、2016年にシャープを買収したあの台湾企業、鴻海精密工業(以下、ホンハイといいます。)の創業者であり会長です。

台湾は、これまで中華民国(※)として中国につかず離れずの微妙な立場を堅持してきました。

しかし、中国と深い関係を持っているテリー・ゴウが台湾のリーダーになれば対中国の関係は大きく見直しされると思われます。今回は、 鴻海精密工業テリー・ゴウについて説明いたします。

※:台湾と国際社会

日本を含めて国際社会は、公式的に台湾を国と認めていません。よってオリンピックなどの国際大会では、台湾人選手は、中国の一部という意味があるチャイニーズタイペイという国名で参加しています。中国は、台湾を自国の一部と認識しており、もし台湾が本気で独立するなら武力行使を辞さない構えです。

鴻海精密工業ってどんな会社?

鴻海精密工業(以下、ホンハイといいます。)は、テリー・ゴウが24歳(1974年)の時に立ち上げました。設立当時は従業員10名ほどの小さな部品メーカーでしたが、今では台湾最大の企業となりました。

ホンハイの主要事業は、EMS(Electronics Manufacturing Service)と呼ばれる電子機器の受託生産です。アップルのiPhoneを始め世界の大手メーカーの電子機器の製造を受けています。

完成した商品はホンハイに仕事を依頼したメーカー名で市場で販売されるため、通常日本国内でホンハイ独自ブランドの商品を見る事はありません。

ホンハイを知らない日本人は、日本の大きな町工場をイメージするかもしれませんが、2018年12月期連結決算で売上高は前年比12%増の5兆2938億台湾ドル(約19兆2200億円)もあります。

ちなみに、同年(2018年度)のパナソニックの売上が8兆1000億円、ソニーが8兆5000億円です。パナソニックとソニー2社の売上額を足し合わせてもホンハイに及ばないのです。

郭台銘(テリー・ゴウ)ってどんな人?

家庭環境(父と母)について

テリー・ゴウの父(郭齢瑞)は中国山西省南部に位置する晋城市沢州県南嶺郷葛万村の出身で、母(初永真)は山東省煙台出身です。

郭齢瑞はもともと中国の山東省で警官をしていましたが、国共内戦(※1)により中国共産党に敗れた中華民国の国民党政府と一緒に台湾に移り住みます。

新天地の台湾で郭齢瑞は、台北市板橋区にある板橋派出所で警官の職を得えます。そして同地区の媽祖信仰(※2)の中心であった慈恵宮の1階にある部屋を借り妻と住むようになります。

※1: 国共内戦(こっきょうないせん)

国共内戦は、蒋介石率いる中国国民党軍と毛沢東率いる中国共産党軍との間で行われた内戦のことです。第一次国共内戦(1927年 – 1937年)、第二次国共内戦(1945年 – 1949年)を経て、中国共産党が勝利し中華人民共和国政府が成立されます。敗れた中国国民党は台湾に移り、立ち去った日本軍の代わりに台湾を統治します。

※2 : 媽祖(まそ)

媽祖は、航海・漁業の守護神であり中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神

郭台銘(テリー・ゴウ)の生い立ち

中国で中国共産党による中華人民共和国が成立した1949年の翌年の1950年10月8日に郭家の長男としてテリー・ゴウが生まれます。テリー・ゴウの兄弟は姉一人と弟二人ですが、ホンハイの後継者になると言われていた弟の一人が2007年に白血病で死去しました。

幼少期を慈恵宮で過ごしたテリー・ゴウは、媽祖信仰の影響を大きく受けます。台湾総統選に出馬する意向を決めたのも『媽祖(まそ)のお告げ』があったからと語っており、今でもあつい信仰心を持っています。

事業立ち上げから現在まで

テリー・ゴウは、21歳(1971年)のとき中国海事商業専科学校(※1)という海事や商事を学ぶ私立専門学校を卒業します。その後、兵役から戻った後に台湾の船会社、復興航運に入社し船を手配する仕事に従事します。

しかし、仕事に物足りなさを感じたテリー・ゴウは、1年ほどでサラリーマン生活を辞め起業家としての道を選びます。

24歳(1974年)の時、母親が標会とよばれる民間信用貸付機構で借りた20万台湾元の資金を得ます。その内、10万台湾元を自身の結婚式費用(※2)に使い、残り10万台湾元で従業員10名の白黒テレビの部品を製造するメーカー鴻海塑料企業有限公司を立ち上げます。

常に前を向いて事業を進めるテリー・ゴウは、35歳(1985年)でアメリカに子会社を設立、38歳(1988年)の時には、台湾企業でいち早く中国に支社を設立し富士康(FOXCONN)という名称で中国事業展開を始めます。

40歳代(1990年代)の時にパソコンブームにより事業が急成長し、液晶パネルやマザーボードなどパソコンの主要部品の製造も請け負うようになります。

50歳代(2000年代)になってからはM&Aを行い事業を拡大、米アップルのiPhoneの受託生産などにより一挙に世界企業に躍り出ます。そして、54歳(2005年)の時、ホンハイは売上高においてEMS企業の世界トップなります。

66歳(2016年)には、経営危機にあったシャープを買収し66%の株式取得します。

68歳(2018年)「フォーチュン・グローバル500」では世界24位につけています。

※1: 中国海事商業専科学校

中国海事商業専科学校(略称は中国海事)、2007年に技術学院に昇格し2017年8月から台北海洋科技大学(TUMT : Taipei University of Marine Technology)に改称している。台湾には215大学あると言われているが、 台北海洋科技大学のランクは19位程度と言われている。

※2:テリー・ゴウの妻と子供

前妻(林淑如:2005年に乳がんで死去)の間に1男1女、再婚相手(曽馨瑩)の間に1男2女の子供をもうけている。 仕事では順調なテリー・ゴウだがプライベートではいろいろと苦労をしている。

まとめ

ビジネスの世界で有名だからといって、台湾総統になれるとは限りません。歴史的な背景もあり台湾には中国との関わりに距離を置くことを望む人達も大勢います。

しかし、前々代の台湾総統である陳水扁前代の馬英九も、テリー・ゴウと同じ1950年(寅年)生まれであることから、ひょっとして『媽祖(まそ)のお告げ』の通り本当に総統になるかもしれません。

一部の報道によると、テリー・ゴウが総統になれば台湾版トランプ政権のように独裁的になるのではと心配する声があります。確かに事業家であり強いリーダーシップを持っていることは確かですが、裕福な家庭に生まれ親の事業を継いだトランプと一から会社を立ち上げたテリー・ゴウでは見てきた世界が違います。

台湾と中国の関係は、日本にも大きな影響を与えることであり政界に進出するテリー・ゴウの今後の動きをよく見ておく必要があります。