憧れだった日本企業

私は、日系企業で20年近く働いている中国人です。今までもはっきり覚えていることは、大学卒業後に日系大手電機メーカー三洋(SANYO)の面接を受けた日のことです。当時、日本の電機メーカー(三洋、東芝、松下)は中国人の誰もが知っており、日本製品の素晴らしい品質に敬意を抱いておりました。

昔は交通の便が悪く、私は実家である北京市海淀区から、面接会場である北京市・朝陽区「豊聨広場」の三洋(北京)まで、汗をかきながら自転車で1時間半かけて行きました。豊聨広場につくと、三洋の大きな看板がかかっており、なんて立派で贅沢な広告なんだろうと思いました。

しわだらけのスーツに、兄からもらったネクタイ、そしてお母さんがくれた革靴を履き、緊張した顔で面接に臨みました。面接時間は約20分間で、私は大学で身に付けた日本語で懸命に面接官と話しをしました。しかし、残念ながら結果は不合格でした。

家に戻るとクラスメイト達がいて『学校の先生から三洋へ面接に行ったと聞いたけど、どこの三洋?』と聞かれました。私が、『日本の三洋だよ!』というと、みんなが羨望の眼差しで私を見たことを今でも覚えております。素晴らしい製品を作り終身雇用制の日本企業で働くことは、当時の私たち学生の夢であり、面接を受ける機会をもらっただけでも凄いことだったのです。

日本企業から学んだこと

その後に、日本の大手建機メーカーの副工場長通訳として採用された私は、そこで色々と勉強させて頂きました。入社当時は、工場で使う専門用語がまったく分からず、中国語でも初めて聞く言葉ばかりでした。まともな通訳ができない私は、副工場長に何度も怒られました。しかし、どんなに叱られても愚痴はいいませんでした。

役立たずだと分かっていた私は毎日、現場の日本人作業員から専門用語を一つ一つ教わり、曖昧なところは家に戻って確認し、自分だけの辞書を作りました。そして、時間があれば現場の隅々を掃除し、少しでも会社に価値がある人間として認めてもらうように頑張りました。半年を過ぎたあたりから、専門用語を一通り身に付けた私は、落ち着いて仕事ができるようになり、副工場長からも少しずつ信頼して頂けるようになりました。

当時の日本人駐在員は、厳しい人が多かったですが、仕事に対して真面目で、人としても正しい心を持っている人が多かったように思います。

「後工程は前工程のお客さん」
「仕事のために、喧嘩することが光栄」
「改善策、再発防止、」
「改善よりもっと重要なことは、意識向上」

など、仕事をする上で大切な言葉をたくさん教わりました。

日本製造業は大丈夫ですか?

多くの中国人は、日本人の勤勉さと責任感の強さに感服しており、日本メーカーは、絶対に品質データーの改ざんや捏造をやらないと信じております。しかし、最近は、一部の日本企業がそうではないように感じております。

神戸製鋼のデータ偽装スキャンダルやJA全農の神戸牛偽り提供問題、日産自動車と三菱自動車による燃費不正問題、タカタのエアバック問題などのニュースは、中国でも報道されました。昔の日本製造業では考えられない事だと思います。

商人が営業する時に誇張して営業することはあります。しかし、モノづくりをやっている製造メーカーが、同じことをしてはいけません。こういうニュースが流れている日本製造業は、これからどこに向かっていくのか心配になります。日本製品の良さは、お客様が求めている以上の品質でモノづくりが出来る事ではなかったのでしょうか?