中国のトップである習近平国家主席は、中国共産党の党首でもあり、その役職名は「中国共産党中央委員会総書記」です。この「総書記」という役職名は、共産主義や社会主義国家においてしばしば使用されてきたものです。では、「総書記」とは本来どのような意味を持ち、なぜ共産主義国家の最高指導者の称号として用いられるようになったのでしょうか?本記事では、その歴史的背景と意味を探ります。

「総書記」の語源とその意味

「書記」という言葉の辞書的な意味は、「記録を取ること、またはその役職」です。つまり、書記とは基本的に「記録を担当する役職」を指します。「総書記」とはその書記を統括する役割を持つ人物を意味します。英語でも「General Secretary」と訳され、文字通り「総合的な書記官」という意味になります。日本の国会においても速記者と呼ばれる書記がいますが、これらはあくまで記録係であり、政治的な権力をもつ役職ではありません。

共産主義国家における「書記」の使用例

共産主義や社会主義国家では、「書記」という役職が最高指導者の称号として用いられることが多いです。例えば、北朝鮮の第2代最高指導者である金正日氏は「総書記」と称されていましたし、ソビエト連邦の最後の最高指導者ミハイル・ゴルバチョフも「書記長」の称号を持っていました。このように、「書記」という言葉は、共産主義国家の最高権力者にとって非常に重要な称号として機能しています。

中国共産党における「総書記」の起源

1921年に開催された中国共産党の設立会議、いわゆる第一回党大会では、党の最高指導者を「書記」と称することが決まりました。当時、「書記」という役職は中国で最も小さな官職の一つであり、現在の秘書や記録係に相当するものでした。ではなぜ、中国共産党はこのような低い官職名を最高指導者の称号に採用したのでしょうか?

中国共産党新聞サイトによると、その理由は、共産党が旧社会と決別し、人民の利益を最優先し、官僚的な振る舞いを避け、国民を欺くことなく抑圧しないという姿勢を示すためであったと言われています。党の最高指導者が「書記」という低い官職名を名乗ることによって、党内での謙虚さと平等主義を強調し、人民に対しての誠実さをアピールする意図があったと考えられます。

また、1921年当時の中国共産党員はわずか50名程度であり、党の中枢機関である中央局はわずか3人で組織されていました。そのため、実務的な要素が重視され、単に役職名が採用されたという説もあります。

「書記」その後の変遷

その後の党大会では、中央執行委員会のメンバーが選挙で選ばれるようになり、役職名も変わっていきました。第二回・第三回の党大会では、中央局の責任者を「委員長」と呼ぶようになり、さらに第四回党大会では「総書記」という名称に変更されました。しかしながら、毛沢東が中華人民共和国の建国後に「主席」として知られるようになったように、特定の指導者の権威を示すために「書記」という役職が控えめに用いられることもありました。

他の共産主義国での使用例

中国以外でも、「書記」という称号は共産主義国家で広く使用されています。例えば、ソビエト連邦では「書記長」という称号が一般的であり、ゴルバチョフはソビエト連邦共産党の「書記長」として知られていました。日本共産党でも、実務的な党首級ポストとして「書記局長」が存在します。これらの例は、共産主義組織において「書記」という役職が重要な地位を占めていることを示しています。

結論

共産主義国家における「総書記」という役職名は、その起源からして、謙虚さと平等主義を示すためのものでした。「書記」という役職は、記録係としてのシンプルな役割を示しながらも、党の最高権力者としての重要な位置を占めています。中国共産党や他の共産主義国家がこの称号を採用してきた背景には、人民の利益を最優先し、官僚主義を排除するという共産主義の基本的な理念が反映されていると言えるでしょう。