中国人は、非を認めないとよく言われる。

先日、中国・韓国を否定する、いわゆる日本アゲ・中韓サゲの本を読んでみた。
そこには、中国人が非を認めない理由は、儒教思想の影響があると書いてあった。しかし、それは少し違うのではないのではと思う。
むしろ社会で生き残っていくために自然に身についた性格に近いのだと思う。

私がそれを実感したのは、今から18年前に中国で自転車泥棒にあった時だ。
当時、北京に留学していた私は、中古自転車に乗ってよく街に買い物に行っていた。ある日いつものように買い物を終えて駐輪場に向かったところ、見知らぬ中国人が私の自転車の鍵を外そうとしていた。すぐに駆け寄り『その自転車は、自分のだけど、そこで何をしているの?』と問い詰めたら、その泥棒は少しも悪びれもせずにこう言い返してきた。

『こんな古くて汚い自転車に乗っているあんたが悪い!捨ててあると思われてもしかたない。』

えっ!?なんで泥棒に被害者の自分が怒られるの? その言動に驚くと同時に呆れて思わず笑ってしまった。

日本なら、自転車泥棒は平謝りするか、一目散に逃げるかの何れかである。持ち主に向かって逆ギレすることはまず考えられない。

私が読んだ本には、中国人が非を認めない原因が儒教思想の影響があると書いてあったが、少なからず、私が出会ったその強気の泥棒は、儒教どころか学校もまともに出てない貧しい人に見えた。

彼が謝らなかった理由は、自分の非を認めて許してもらえる甘い社会ではないことを体で知ってるからではないだろうか?

謝れば負けを認めることになり、公安(警察)から厳しい罰を受ける事になる。

日本人の私が考えている以上に、非を認める事の怖さをしっているからこそ、謝らずに言い返してきたのだと思う。

もし、その中国人の泥棒に、平謝りしている日本の泥棒を見せたら、何と思うのだろうか?
恐らく、日本人の泥棒はすぐに非を認める愚かな奴だと言うのではないだろうか?

今は違うが、昔の中国ではタクシーに乗るとお釣りで偽札をつかまされることが多かった。初めのうちは気付かず受け取ってしまい悔しい思いをしていたが、中国人の友達から見分け方を習得し、以降はお札を触った瞬間にある程度は判別ができるようになった。

しかし、偽札をつかまされた時に、タクシー運転手に『これ偽札じゃないの?』って問い詰めても謝るドライバーには一度も出会わなかった。大抵は面倒くさそうにお札を交換するだけだ。

また、汽車で中国旅行した時も面白かった。指定席車両なのに何故か普通席切符の乗客が入り込んでおり、私がトイレなどでちょっと席を外し戻ってくると、見知らぬ人が私の席を占領し向日葵の種をムシャムシャ食べている。『切符を見せてそこ私の席だからどいて下さい』と言うと、なんだもう帰って来たのか!という目つきで仕方なく席を空け渡す。そして再び席を外すとまた同じ人が座っている。さすがに腹が立って文句を言ったら『空いているのだから座っても良いだろう。』と言い返される。

なんでもスムーズに生活できる日本で暮らしていた自分にとって、中国での生活は驚きの連続だった。しかし、そのうちに慣れてきて、納得いかないことに対しては、現地中国人と同じように遠慮なく抗議できるようになった。こちらから言わなければ負けてしまうのである。日本では考えられない程、中国の日常生活では言い争うことが多かった。しかし、それが中国で生活していくためには必要な能力だった。

長い中国留学から帰国した時に、『すいません』という言葉を多用する日本人に少し違和感を覚えた。日本のニュースでは、会社のトップが頭を下げて『すいません』と謝っているのをよく目にするが、非を認めている割には、行動が伴ってなかったりする。

もしかしたら、謝らない中国人が常識外れなのではなく、平和ボケしてなんでも謝れば済むを考えているわれわれ日本人の方が、生き方が甘いのかもしれない。

以上