商人になるということ

中国の古代王朝の多くは、農業を重視し商業を抑える体制であったため、農業生産(モノづくり)に従事していない商人の社会的な地位は、非常に低い状態でした。始皇帝でおなじみの秦朝(紀元前221年から紀元前207年)では、どんなにお金持ちの商人であっても、シルクの服を着ることは許されておりませんでした。

次の漢朝(紀元前206年から220年※前漢+後漢)になっても状況は変わらず、商人は全ての財産を政府に申告する必要があり、たとえ僅かな申告価格の相違があっても、財産がすべて没収されました。唐朝(618-907年)では、商人が政府役人にる資格がありませんでした。

状況が変わってきたのは、14世紀になってからで、明朝(1368年-1644年)から少しずつ商人の社会的な地位が高くなり、清朝(1644年-1911年)になると、商人がお金を出して、政府役人(官員)になれるようになりました。

清朝で有名な商人は、胡雪岩(hú xuě yán)です。彼は、商人身分から政府最高レベルの一品官員にまで上りつめました。そして、最後は全ての財産を政府に押収され貧困病気の中で世を去りました。この話は、有名であり、商人という職業は、もともと危ない業種で、誰でも商人になれるという訳ではなく、本当に優秀な一握りの人だけしかなれないことを教えてくれます。

一方、現代の商人はどうかというと、人材育成方法に問題があるのか、本当の商人は少なくなっている感じがします。その代わりに御用聞き(Order Taker)または服従者(ロボット)のような商人をよく目にします。商人のあつまりである商社では、上司は本当の意味で部下の人間の聞く耳をもっておらず、自分の考えを間違いなく理解してくれたか否かに関心を持っています。とくに上下関係を重んじる日本の企業は、このような現象が発生しやすいようです。

中国の昔のことわざに『将相本無種、男児当自強(jiāng xiāng běn wú zhǒng 、nán ér dāng zì qiáng)』というのがあります。これを訳すと、『将軍や宰相の家柄でない一般庶民が、もし偉くなりたいなら権威にチャレンジする気概が必要』との意味になります。

思考をもっと活性化し勇気をもって動けば、いろいろ新しい発想が生まれます。今日の発展があるのは、危険をかえりみず勇気をもって戦ってきた商人達のおかげでもあります。本当に優秀な商人は、何事も円滑で臨機応変に対応し、最短の時間で一番正しい判断を下す人です。しかし、現代の企業社会では、そのような人物は異端視される傾向があり、優れた商人が育ちにくい環境になっていると思います。商人は、モノづくりの人とは違います。Risk Takerとして、モノづくり企業をリードして市場を作っていかないといけません。

チェンさんについて
日系企業で18年以上働いた経験を持つ中国在住のベテランビジネスマン。日本語検定は1級を取得。
非常に実直で真面目。誠意をもって人と対応することをモットーにしている。
仕事に真摯に向き合っているので物事をハッキリ言う。
日本に対して少し厳しいことを言う時もあるが、日本人の気持ちも理解してくれる。親分肌。