商人はいつ出てきたのか?そして、なぜ商人というのか?

売り買いして利益を得る人を商人(しょうにん)といいます。
ではなぜ『商人』と呼ぶようになったのでしょうか?

実は、『商人』は、今から3,000年以上も前の中国、商王朝(前1559年-前1046年)に関係があると言われております。

中国最古の王朝と言われる商(殷ともいいます)は、甲骨文字や青銅器が多く作られ、人々の暮らしが多様化した時代でした。
民間交易も発達し、これまでの物物交換(ぶつぶつこうかん)の代わりとなる通貨を使っての売買が確立したのもこの時代です。

商王朝は500年以上も続きます。しかし、紀元前1046年、※酒池肉林(しゅちにくりん)の語源となった暴君、紂王(ちゅうおう)が、後の周王朝の王様となる武王(ぶおう)に牧野(ぼくや)の戦いで敗れついに滅びます。

戦いに敗れ都城から追い出された商王朝の臣民たちは、土地がないため生産手段をもっておらず、モノの売り買いによって生活を維持しました。

やがて月日がたち、物を売り買いして生計を立てる事が一つの職業として確立されました。

そして、この業を行なう者の多くが、商王朝の遺民達であったので世の人々は、物を売買する人達のことを商の人=商人と呼ぶようになったそうです。

ちなみに古代の中国では、物の売り買いをする人の呼び方が2つあり、固定されたお店を持って物を売買する人を賈(コ)人、外で交易を行う人を商人と分けていたそうです。

商の人が発見した商売の大原則について

商の人達は、同じモノでも場所によって異なる値段で売られている事を知り、モノが沢山あるところ(価格が安いところ)で買って、モノが少ないところ(価格が高いところ)に行って売れば利潤が得られるという商売の大原則を発見した最初の民族だと言われております。

これは、現代にも通じる商買の普遍的な原則です。
いくら頑張っても儲からないと嘆いている方は、もしかしたら、『モノが沢山あるところ(価格が安いところ)で買って、モノが少ないところ(価格が高いところ)に行って売れば利潤が得られる。』という商(あきない)の大原則から知らないうちに離れているかもしれません。

自社の事業が原則に反しているように感じるのであれば、古代の商の遺民たちのように、自ら市場を見つけに行くか、新商材や新サービスを創出することで利潤が生まれる環境を作り出しては如何でしょうか?

※豆知識:酒池肉林について
酒池肉林は、史記(殷本紀)に記載されている紂王(ちゅうおう)の豪奢な遊びを形容した文章からできた4字熟語です。その原文は以下の通りです。
「以,县,使男女裸相逐其间,为长夜之饮..(和訳:大量のを作り、の塊を吊るしてにし、男女を裸にして追いかけっこさせながら、飲み明かすした..)』
日本では、酒池肉林の肉を女性と考えている人が多いですが、原文では女性の肉とは書かれておりません。恐らく後の句である『男女を裸にして。。。』と混同したのだと思われますが、いずれにせよ贅沢で堕落した遊び方を意味することには違いはありません。