年間180~190万の日本人が訪れる台湾は、日本の大事な経済パートナーです。

台湾人との良好な関係を維持するため、私たち日本人は台湾のことをもっと良く知っておく必要があります。今回は、意外と知らない台湾国旗について説明します。

国名を名乗れない台湾人

皆さんは、オリンピックで台湾という国名を見たことがありますか?

実は、2018年に開催された平昌オリンピックの参加国名簿を見ても台湾という国名は存在しません。

テニスや野球などスポーツの国際大会でも同じく台湾という国名は出てきません。

なぜなら台湾人選手は、中国の一部、つまりチャイニーズ台北(中華台北)として参加しているからです。

国旗掲揚も梅花旗(Méi Huā Qí)と呼ばれる国際大会用の旗を使います。

国際大会で掲げられたチャイニーズ台北(中華台北)の梅花旗
※2018年11月24日。台湾で東京オリンピック・パラリンピックに「チャイニーズ・タイペイ」でなく「台湾」という名称で参加するか国民投票が行われました。結果は、反対票が賛成票を大きく上回り「台湾」という国名でのオリンピック参加は見送りになりました。台湾と名乗ることは中国との関係に直接影響を与えるため台湾国内でも賛否が分かれます。

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有名だが国家でない台湾

シャープを買収した鴻海精密工業(ホンハイ)、スポーツ自転車の世界的メーカーGIANT(ジャイアント)、半導体チップ製造受託の世界トップ企業TSMC(台湾積体電路製造)、海運・航空・ホテル業などを手掛けるEVERGREEN(エバーグリーン)など台湾企業は世界で活躍しています。

しかし、台湾は国際社会では国として認められていません。

なぜなら1971年に国連(国際連合総会)が中国(中華人民共和国)の加入を認める決議をし、これに反発した台湾は国連と国連機関から脱退したからです。

ご存知のとおり中国は台湾を中国の一部(台湾省)として認識しているため、日本を含む国連加盟国は、国連メンバーである中国の意向を無視して台湾を国として認めることができないのです。

13億の人口を有する大国中国が、わずか2300万人の台湾を独立国として認めても大したことはないと思う人もいるかもしれませんが、中国経済を支えている広東省、福建省のすぐそばに、米国の武器を保有する国家ができるということは、中国にとって到底許されないことです。

また台湾が独立してしまうとチベットなど中国国内で独立を望んでいる地域のコントロールが効かなくなる可能性もあります。

台湾を国として認めている国
2019年時点15カ国が台湾を国として認めています。
欧州のバチカン市国、マーシャル諸島共和国、ナウル共和国、パラオ共和国、ツバル、エスワティニ王国、ベリーズ、グアテマラ共和国、ホンジャラス共和国、ニカラグア共和国、パラグアイ共和国、ハイチ共和国、セントキッツ・ネービス連邦、セントルシア、セントビンセント及びグレナディーン諸島
※ソロモン諸島とキリバス共和国とは2019年9月に中国と国交を樹立することを決定したため台湾との国交が断絶しました。

ちなみに日本人が台湾旅行中にパスポートを紛失しても、台湾には再発行を依頼する日本領事館(大使館)はありません。代わりに日本と台湾間の事務処理を請け負う公益財団法人日本台湾交流協会という専門機関があり、そこでパスポートの再発行を行います。

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台湾の正式国旗って何?

台湾(中華民国)には青天白日満地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき/Qīngtiān Báirì Mǎndì Hóngqí)と呼ばれる正式国旗があります。

台湾国旗:青天白日満地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき)

ベースが赤色のため、中国(中華人民共和国)の国旗と似ていますが、中国国旗が黄色の星マークに対し、台湾国旗は白色の太陽マークです。

中国(中華人民共和国)国旗の正式名称は五星紅旗(ごせいこうき/Wǔxīng Hóngqí)です。一番大きな星が中国共産党であり周りを囲む4つの小さな星は労働者・農民・小資産階級と愛国的資本家・知識人を表します。

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台湾国旗の由来、実は中国のもの?

台湾国旗は誰がいつ作ったのか?

中国の清朝末期、1894年に孫文(孫中山)を中心として政治結社、興中会が結成されました。

孫文たちは、同志を互いに見分けやすくする目印として青天白日旗(せいてんはくじつき)を作ります。

これが現在の台湾国旗(青天白日満地紅旗)のルーツです。つまり、台湾国旗はもともとは中国革命軍の旗だったのです。

青天白日旗(せいてんはくじつき)

※実際に青天白日旗(せいてんはくじつき)をデザインしたのは、孫文の幼馴染であり革命同志の陸 皓東(りく こうとう)と言う人です。

孫文(孫中山)
中国の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。中国革命の父として「国父」とも呼ばれる。現在台湾の100ドル紙幣に描かれている。日本へ2度亡命し、日本人と結婚していることでも有名。

青天白日旗(せいてんはくじつき)の意味

青色部分(青天)は正義、白い太陽(白日)は友愛、太陽から出ている12本の光芒は12刻つまり永遠を象徴しています。

青天白日旗(せいてんはくじつき)が台湾国旗になるまで

1911年、中国では、辛亥革命がおこり清朝が滅亡、革命軍は新しい国家である中華民国を樹立します。
初代中華民国臨時大総統に選ばれた孫文でしたが、軍閥総帥であった袁世凱にすぐに政権を奪わます。

実権を失った孫文は、いったん中国から離れ、1914年に亡命先である日本の東京で中華革命党を立上げます。

そして、1919年に改組し中国国民党(今の台湾国民党政府のルーツ)を結成、革命時代の目印であった青天白日旗を党旗に定めます。

1925年に孫文は亡くなりますが、中国国民党の新しいリーダーとなった蒋介石が、1928年に中国の南京で中華民国の新政府(南京国民政府)を立ち上げます。

この時、革命に身を捧げた人々の血を表す紅旗に中国国民党の青天白日マークを加えた青天白日満地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき)を中華民国の新しい国旗に採用しました。

1949年の12月7日、蒋介石率いる中国国民党は、毛沢東率いる中国共産党との戦いに敗れ、中華民国の首都を南京から台湾の台北に移し、立ち去った日本軍の代わりに台湾を統治します。

以降、中華民国の国旗である青天白日満地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき)が台湾の正式国旗となっています。

台湾人の中には、もともと中国大陸の国家であった中華民国の国旗「青天白日満地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき)」に抵抗を感じる人もおり、本当の独立国として台湾旗を作るべきであると考える人もいます。歴史的背景により台湾人でも意見が分かれます。
独立派が掲げる台湾旗

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